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震災の日に思うこと

 
1月17日は震災の日。

 


1995年1月17日。
阪神淡路大震災が起きた。

 


忘れもしないあの日。
直下型地震だったが
すごい音で目が覚めた。


ドーンという大きな音とともに
強い揺れで部屋の中のものは
倒れて布団の上に落ちてくる。


やっと夜が明けてきて
家族の眠る階下へ行くと
家の中はぐちゃぐちゃ。

 


幸いガスと水は来ていたので
朝ごはんをすまし
大学へ行く用意をした。


電車は止まっていて
仕方なく父の車で
神戸市中心街まで行くことに。


山麓バイパスを通って
トンネルを抜けると
想像もしていなかった
景色が飛び込んできた。


ビルは倒壊し
火災はあちこちで起こり
電車は脱線している


なんてことになったのか。
大学には行く場合じゃないと
ようやく事態の深刻さを理解した。


それから1年半ほどの間
電車を乗り継ぎながら通学をした。

 


何よりショックだったのが
西宮くらいまでは
ものすごく被害があったのに

 


お隣の大阪は何事もなかったように
普通の暮らしをされていたこと。


私が通う大学は西宮市にあり
神戸方面から通う学生と
大阪方面から通う学生がいた。


4月から通常通り授業が
始まったのだが
神戸方面の学生は
本当に通学するのが大変だった。


電車がすべて開通していないので
阪急三宮駅から御影まで乗り
その後JRまで歩く。

 


JRの駅から西宮まで行き
そこから阪神国道という
阪急線へ乗り換え

 


何度も何度も乗り換えて

2時間以上かけて通学した。

 


整備されていない道も歩くので
服装はジーンズにジャケット、

リュックサックにスニーカー。

 


小汚い格好だったけど

そんなことは言っていられなかった。


ところが大阪方面から来る学生は
いつものように着飾っていて
ランチはどこに食べに行く?
とそんな会話なのだ。


嫌味とかではなく、
隣の大阪府と
兵庫県ではこんなに違うのかと
復興が進んでいる最中に
とてもショックを受けたのだ。


いつになったら普通の暮らしに戻るのか
倒れたビルを解体している現場を
横目で見ながら何度も思った。


現在の神戸は都市開発も進み
どんどん新しい施設も

建設されている。


震災は遠い昔のようだが
被災した人間にとっては
何年経っても忘れることができない。

 


そしていつか来ると言われている
南海地震がいつ来るのか
そんな不安も常に抱いている。


1月17日の震災の日。
この日があるから
私たちは大自然と共存し

 


命があるありがたさに
感謝できるのではないかと
毎年感じている。


 

心を解放し夢を叶える自然療法士

すずき みと

  

 

写真引用:神戸市
写真引用:神戸市